兄の存在

その他

僕には5つ上の兄がいます。地元では有名なサッカー小僧で、僕は高校で地元を離れるまではいつも”梅鉢の弟”でした。

面倒見の良い兄ちゃんでいつも勝負に付き合ってくれました。僕らの勝負はもちろんサッカーで、近くの小さな公園のとても狭いスペースでの1対1でした。実家はマンションで、通称「下の公園」での兄との1対1が僕の原点であるように思います。植え込みの木と木の間が目指すゴールです。

僕は負け続けました。悔しくて悔しくて仕方なかったです。「ラスト1回!」は僕ら兄弟の間では何の意味もなく、何度ももう1回だけ、を繰り返しました。真っ暗になって母さんが怒ってベランダから叫ぶまでがタイムリミットです笑。

だいたい7時頃には母さんが「ご飯できたよ〜🍚」と呼んでくれます。7時半に「いつ帰ってくるねん?」に変わり、8時に「もう飯ないぞ。」に変わります😎。上に上がれば温かいご飯が用意されていたので母さんも僕らが帰ってこないことは分かっていたんだろうなーと思う今日この頃です。予鈴で動く子供など滅多にいませんよね笑。

僕にとって兄は悔しさを与え続けてくれる存在です。今でもアドバイスに腹を立てることがありますが、的を得ているからこそ腹が立つのでしょう笑。兄弟仲が良いと言われますが、いまいちピンとこなくて他の兄弟はどうなんだろうと思いますね。

ちなみに兄は中3の時に挫折を経験しています。ガンバ大阪の選手も通う有名な治療院の先生から、「この身体の選手をプロは獲得しない。」と言われてグレてしまいました。ヘルニア持ちだったのです。地元の高校へ行ってサッカー部に入らず弟に八つ当たりする日々。それでもどうしてもサッカーがしたくなったんでしょうね、高1の後半時に県外の高校に何度も足を運んで編入させてくれとお願いし続けたみたいです。その高校は家庭の事情などがなければダメだと何度も兄に伝えたようですが、最終的には熱意が伝わったのか編入できました。(これは当時の僕にとってもひじょーに嬉しいニュースでしたね。鬱陶しさしかない兄が家からいなくなるのですから😎)

高校サッカーの強豪校に1年半のブランクを経て飛び込んで行くことは大変だっただろうし、親に「編入させてくれ。」なんて甘えたことを頼むことにも覚悟は必要だったと思います。苦しみから逃げている姿、立ち向かうと決めた姿。もがき苦しむ兄の姿を見れたことは僕にとって大きなことでした。

僕は苦しい時に泣き言を言わない、そんな漢ではありません。が、16歳の兄に負けるわけにはいきません。逃げてもいいけれど、立ち向かう、そんなかっこいい大人になれたらいいですね〜^ ^

今日はオンラインレッスンで、テーマを決めて話しました。海外旅行や映画について。途中、「後輩と映画に行った」と言いたかったのですが、後輩を英語で何て言うか分からなかったです。調べてみると junior みたいですね。んー🤔イメージと違いますが笑。職場の後輩なら junior at work みたいです。今度通じるか使ってみます🙋‍♂️少し話せるようになってくると、今度は色々伝えたいことを正しく伝える難しさにぶち当たります。この辺で1度逃げるのもかっこ悪いことではないはず、、、😎

コメント

タイトルとURLをコピーしました